ニックネーム はな
高1の長男ナツオと小6の次男フユトの二児の母。ナツオは偏差値30台からスタートし、二人三脚で頑張った甲斐あって、偏差値60越えの志望校に合格。次男フユトも自然と中受の道へ。いよいよフユトも中学受験生、残り少ない親子二人三脚を頑張ります。
秋の運動会や修学旅行なども終わり落ち着きを感じる秋とは裏腹に、不安定になりがちな小学6年生のお子さんの様子や保護者の皆さんは大丈夫でしょうか?上手に気分転換出来ていますか?今日は前々回のブログでお話しした兄ナツオの昔話を少し思い出してお話したいと思います。
【目次】
- ナツオ偏差値急降下の原因
- ナツオの魔のひと月
1.ナツオ偏差値急降下の原因
それは11月に入ってすぐの全国模試のことでした。ナツオが全国模試で偏差値を10以上下げた結果をパソコンの画面で見た私。思わず見間違いかと画面から目を離してまた戻すこと数回…紛れも無い事実に顔面蒼白になったのを覚えています。
「何故?」
理由がわからず動揺している時に1本の電話が鳴りました。
「日能研〇〇校の△△です。お母さん大丈夫ですか?」
授業開始時間と同時にかかってきた担当のスタッフさんからの電話に、心配して下さっている気持ちに、母の気が緩んで涙が頬を伝ったのを覚えています。
「授業の様子も心配ないので、たまたまの結果。必ず次回は元に戻るから心配しないでください。」
ナツオと面談をして既にフォロー済みなことや他にもアドバイスをいただいたのですが、動揺のあまり覚えているのはこの言葉だけ…そしてゆっくり落ち着いて考えてみると何故成績が悪かったのか原因が判明しました。
当日朝に兄弟喧嘩勃発
その際主人は兄ナツオが悪かったからと思いきり叱り、当時は模試会場への送迎を主人がしていたので、2人の雰囲気も険悪なまま模試会場へ向かったのです。精神的なフォローもない状態で模擬試験を受けた結果が 10以上急落した偏差値という形で表れました。
今となっては子供のメンタルの大切さを初めて痛感した貴重な経験となりました。
2.ナツオの魔のひと月
最低偏差値を出した全国模試から次の模試までのひと月は親子ともに精神的に厳しい時間となりました。原因ははっきりしていましたが、だからと言ってそれだと確証はありません。偏差値が元に戻って初めて「喧嘩が原因だったね」と思えることなので…
模試の振り返りから考えられる学習面での弱点に対して、ナツオは反抗しながらも以前より真面目に勉強に取り組んでいたと思います。さすがに したいと思わずに始めた受験とはいえ、受験本番3カ月前の急落した成績に堪えていたのでしょう。
そして追い打ちをかけるように秋以降の成績低迷による、日能研の日曜特別講座(志望校別講座)でのクラス落ちがナツオの心に大きな影を落としました。その時には周りの友達と一緒に第一志望合格へ向けて競いながら学んでいたようなので、ナツオの元の成績に戻りたい気持ちやクラス落ちへの自信喪失は母にも伝わってきました。本当に本人が辛かったと思います。
ナツオの成績は担当のスタッフさんや先生のおっしゃる通り次の全国模試では回復していました。 学力がなかったのではなく、何らかの原因でパフォーマンスできなくなっただけだったと言われた通り…それがナツオの場合は兄弟喧嘩でした。
そして当時の私もより一層不安な、辛いひと月を過ごしていました。子供達が寝静まってから反抗期のナツオの気持ちを真正面から受け止める苛立ちと上手く対応できない自分に嫌悪、反省しながら溜息をつく毎日。9月からの成績不振への不安もあって何度も涙を流し、夢にまで受験のことが忘れられずに夜中に目を覚ました事もありました。細い糸1本分の信じる気持ちでかろうじて希望と繋がっていられたと思います。「どんな時でも信じる気持ちを持ち続けた」ことがナツオの受験を経験した母として1番必要な事だったと思っています。
我が子を信じ切る気持ち…それを忘れずに受験に臨みたい。
フユトの受験を伴走しながら、2度目の受験の今でもそう強く考えます。同じ兄弟でもナツオとは全く違った心配や不安があってもフユトを最後まで信じて応援し続けるつもりです。そして皆さんも、こちらのブログをお読みいだたいている小学6年生の受験生の皆さんも共に応援をしましょう。きっと大丈夫、我が子のより良い明日の為にきっと日々サポートしていらっしゃると思うので、御自身に自信をもってくださいね。
父や母の想いが我が子に通じて「受験して良かった」と思える日がきっと来ると信じましょう!
アメブロでも受験に限らず日々のたわいないことを呟いています。はなと弟フユトの迷いながらの受験模様も良かったらご覧くださいね。今日のブログではフユト受験談(続)を書いています。
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