【がんサバイバーが語る絶望からの輝く未来】人生はまさに「人間万事塞翁が馬」

現代は2人に1人ががんになると言われる時代。特に30代から50代の女性に多いのが乳がん・子宮がん・卵巣がんなどの女性特有のがんへの罹患です。

家族の笑顔を支える私たち母親ががんになったら…。誰もが自分の心配事として心の片隅にあるはずです。「一般社団法人ピアリング」は、会員・スタッフともに、がんサバイバーが中心に運営する支えあいの場所です。

子育て中にがんに罹患しながらも、それを乗り越え、元気に活躍するみなさんに、体験談をお聞きしました。

忙しくも幸せな日常に突然襲ってきたがん告知
最悪と思えた経験は、輝く未来への序章でした

乳がん 育児 経験 ブログ リサ・サーナ ピアリング SNS

一般社団法人 ピアリング
株式会社 リサ・サーナ
代表 上田暢子さん
(48)
横浜市在住


大学卒業後、1年間のスペイン留学を経て、横浜市の職員となった上田暢子さん。

結婚・出産後も仕事を続け、忙しくも幸せな毎日でした。そんな上田さんに突然訪れた乳がん告知。
約1年で3回の入退院を繰り返し、「死」を身近に感じたこともあったそうです。

しかし、それを機に一念発起。自らの経験をもとに、がんサバイバー女性の支えあいの場「ピアリング」を立ち上げ、さらに「リサ・サーナ」トップとしても活躍しています。

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ワーキングマザーとして順風満帆な日々が一転
がん告知で私の人生が変わりました

 

横浜市の職員として、さらなるキャリアアップをという40代前半でのがん告知でした。

横浜市ではさまざまな経験をしました。特に経済局で起業家支援を担当したときは、数多くの社会的起業家の方との出会いがあり「私もこんな風に自分の想いや経験を社会に役立てたい」。そんな憧れを持ちながらも、仕事に子育てにと忙しく、一歩は踏み出せずにいました。

左胸にビー玉ぐらいのしこりに気づいたのは、2015年秋。43歳のときです。「大したことはない」そう思いながらも、仕事から帰宅すると夕飯の準備のためにソファから立ち上がることもできないくらいの疲労感がありました。そして、少しずつ大きくなる胸のしこり。

「まさか…?」

念のために、マンモグラフィー検査で定評のある病院の予約を取りました。折しも北斗晶さんの乳がん発覚とほぼ同時期。病院は予約でいっぱいで、検査が受けられたのは3カ月後の12月でした。

「マンモには何も映っていないですね(※)」。

マンモグラフィーの読影指導医も務めるベテラン医師の診断に対して、「でも先生」と食い下がったのは、「絶対に何かがおかしい。納得するまで確かめたい」という強い思いがあったからです。エコーを撮り、針生検を行ってもらったところ、やはり恐れていた乳がんが判明しました。

病院からの帰り道。遊歩道には枯れ葉がいっぱいでした。それを踏みしめながら、子どもたちは?仕事は?これからどうなるの?混乱する頭でできたことは、自分の足元を見つめながら家に向かって歩くことだけでした。

(※)日本人に多い高濃度乳腺(デンスブレスト)ではがんがマンモグラフィーに写りにくいという問題がある

お子さんたちへはどのように伝えたのですか?

手術は東京の大病院で受けることになりました。子どもたちに伝えたのは、その1カ月前。長女は5年生で、1年後の中学受験のために本腰を入れなくてはいけない時期でもあったのでメンタル面が心配でしたが「大丈夫!ママは治るよ」と逆に私を励ましてくれました。長男はまだ1年生。「おっぱいに悪いものができたので、手術で切り取るのよ」と告げると、大泣きしながら「いやだ。ムヒ塗って治して」と。この子たちのために、私は必ず元気になろうと心に誓いました。

2016年2月に左乳房全摘、11月に乳房再建の手術を受けました。その間、実家の母が家事を手伝いにきてくれ、子どもたちはいつもどおりの元気さで私を支えてくれました。特に長女は、翌年2月の中学受験で、志望校合格という私への特効薬をプレゼントしてくれました。

一方私は、がんの精密検査で心臓心室内腫瘍も発見されたため、2017年には心臓腫瘍摘出手術も受けました。その後療養中に横浜市を退職。もちろん、病気がきっかけではありましたが、「私らしい生き方」を考えた末での決心でした。

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支えあいの場所はすべてのがんサバイバーの願い
しかし、決して平たんな道ではありませんでした

上田さんらしい生き方、それが「ピアリング」立ち上げですね?

そうです。がん告知されてからたった1カ月で、温存と放射線治療なのか、全摘と再建なのかを選ばなくてはなりませんでした。とにかく情報が欲しかったです。

でも、専門的な医療情報ばかりで、一番望んでいた「同じ経験をした、子育て中の女性からのアドバイス」は見つかりません。不安と孤独で落ち込むことが多い日々を過ごしました。

1回目の手術から半年ほどたった時、同じ境遇の方とブログを通じて知り合うことができたんです。しかも偶然同じ主治医。病院で待ち合わせをして、お互いの話をすることで、心の中に一筋の光が見えた気がしました。

その後も、同じような環境下のがんサバイバーとのさまざまな出会いがありました。そこで、「デリケートな女性特有のがんだからこそ、同じ経験した人たちで共感できる支え合いの場がほしい」という大きなニーズを感じました。

これが、「私がすべきこと」、そう直感し、無料会員制コミュニティーサイト「ピアリング」を立ち上げました。心臓腫瘍摘出手術を受けた半年後、2017年7月のことです。

ピアリングを立ち上げ、手応えはいかがでしたか?

はじめはなかなかユーザーが集まらず、厳しかったですね。告知のチラシを置いてほしいと、患者会などの団体に足を運びお願いしましたが、断られることも少なくありませんでした。

がん患者さんの不安や心の隙間に付け込んだ悪徳商法や、医学的に証明されていない偏った治療法を推奨する人などへの警戒もあったと思います。

「活動の中身がよくわからないところのチラシを置くわけにはいかない」

「応援はできない」

そんな反応に、心が折れそうになることも多々ありました。

しかし、私の活動に共感し、協力してくれる仲間たちが少しずつ増え、ともに情報を発信し続けた結果、2カ月で会員100人という最初のハードルを越えることができたので、プレスリリースを作成しました。

「会員100人でプレスリリース?」と、今思うと笑っちゃいますが、それを新聞記事で大きく取り上げられたことで、会員数が一気に増えはじめました。2018年の横浜ビジネスグランプリで「女性起業家賞」を頂いたことも大きかったです。

その後も、どんどん会員が増え続け、2020年10月現在で会員数は全国で約8900人になりました。SNSでの情報交換に加え、ピアリング主催で「笑顔塾」というセミナーを開催しています。また、コミュニティ内のオフ会も盛んで、ランチ交流会や音楽サークルなど、会員さんたちが有志を募って自主的に行ってくれています。

私たちが常に気を付けているのは、ピアリングに集まる人たち同士、温かな励ましの連鎖を実現すること。SNSをベースとしている特性上、規模が大きくなるほど、間違った情報やコミュニケーション上のトラブルが生じてしまうこともあります。

常に運営側でしっかりチェックをして、良い方向へと修正することで、誰もが嫌な気持ちにならず、本当の意味で支え合える場所を提供できるよう努力を続けています。「ピアリングに出会えて救われた」というユーザーの言葉が原動力になっているのです。

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企業と患者をつなぎ
がんサバイバーのQOL向上へ

企業との連携など、事業展開も広がりを見せています。

ピアリングと同時に「リサ・サーナ」という会社を設立し、ピアリングのインターフェイスを整え、維持していくための仕組み作りをしました。ボランティアや助成金だけに頼って継続が難しくなる市民活動を、市職員時代に見てきたためです。

一方、保険やアピアランスの分野等の企業は、がん患者のニーズに応えるための商品開発や新サービスの提供に積極的に取り組んでいますが、生の声がなかなか吸い上げられないという課題があります。

リサ・サーナは、ピアリングで集まった声を企業側にフィードバックし、がん患者のQOL向上につなげていく、プラットホームの役割を果たす企業です。
「人間万事塞翁が馬」。がんになった時に、友人が私に贈ってくれた言葉です。私はこの言葉に救われました。がんになったときは、誰もがその運命を受け入れられず、不運だと感じます。

でも、考え方次第で幸運につなげることができるはず。私はそう信じています。もしがんという病魔と闘いながら、心の支えが必要と思われているなら、ぜひピアリングを訪れてください。ピアリングには、支え合えるすばらしい仲間が大勢いるのです。


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