山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.55 Englishな日々~Season 2~

『午後の散歩道』に、ようこそ!
5月になりましたねぇ。 日差しは明るく、風がサワサワと街路樹の葉を揺らしている。


お天気の日曜日は、お散歩がしたくなる♪   photo by Yoshikazu TAKADA

が、3年前の私は、季節の移ろいなど目もくれず、いいトシをしたガリ勉亡者になっていた。
その年の春と夏が、どんなふうだったのか、まるで記憶がない。

JR東海の宣伝文句「そうだ 京都、行こう」みたいな感じで
「そうだ、英語やろう」と思いついた私は、飛び込んだ英語学校のスパルタな授業方針にどっぷり浸かって、英語の海を泳いでいた。

1日3時間の睡眠で、来る日も来る日も、山のように出される宿題と特別課題に齧りつき、脳のなかにある錆びついた記憶の倉庫をこじ開けて、単語と構文を頭に叩き込み続けた。

そうして私は5か月後、バッタリ倒れた。

…とここまでが、previously on Sanpo-michi.(前回までのあらすじ)


私が泳いでいたのは、こんな海(>_<)   photo by lgf01a201412191500

1.そのままいったら、死ぬからね

その日、私はいつものように授業を終えると一目散に電車に飛び乗り、車内で単語の意味調べをしつつ、地元の駅に降りた。

普段なら、そのまま家に直帰して復習に取りかかるのだが、その日はどうしても家に足が向かず、フラフラと駅ビルのカフェに寄った。
夕方の始まりの時間で、私は窓際の席に座り、駅を忙しく行き来する人々をボーッと眺めた。
(そうだ、宿題やらなきゃ……)
私はズルズルと滑るように椅子から降り、飲みかけのコーヒーを返却コーナーに置いて、足をひきずるようにして家に帰った。

頭のなかでは、しなければならないことが次々と浮かんでくるのに、テーブルに教材を広げる前に、床の上にゴロン、と寝転がってしまった。

すると、起き上がろうと思っても、まるで蟻地獄の砂の上にいるみたいに、身体が床に吸い込まれていくような感覚に襲われ、身動きがとれなくなってしまった。


床に吸い込まれるような感覚。(写真はアリ地獄・実物)   photo by gnomeza on Visual hunt

(これはちょっとマズイ)
自分に起こっていることが、普通のことではないと気付いた私は、床に横たわったまま、腕を伸ばしてバッグのなかを探り、スマホを取りだした。

いつも元気づけてくれる親友や仲間の顔が浮かんできたけれど、彼女たちに今の状況を説明しても、困らせてしまうだけだ。
私は、一部分だけ妙に冴えた頭で考え、ここ1年ほどご無沙汰しているQちゃんのアドレスを探し、電話をかけた。

Qちゃんは栄養学のドクター(博士)で、心と身体のバランスを失った患者さんのセラピストをしている人。 専門分野ではないにしても、床に倒れて動けない私に、どうしたらいいか、何かヒントをくれるに違いない、と思ったのである。

「あら、りかちゃん電話なんて珍しい。どうしたの?」
「Qちゃん、久しぶり。あのね、実は私、今……」

Qちゃんは、私が過ごしてきたクレイジーな勉学生活の話に耳を傾け、
「偉いねぇ、頑張ったんだねぇ」とねぎらってくれた。

そして学者らしい分析で、3時間の睡眠でも平気だったのは、
「ドーパミンの過剰分泌による興奮状態だったのよ」と教えてくれた。

「今、何がしたいか言ってみて」と聞かれ、私は
「休みたい」と答えた。

それまでまったく考えもしなかったことなのに、口に出してみて初めて、私は本当に心から休みたかったのだ、と気がついた。

「じゃあね、自分じゃ決められないのだったら、私が決めてあげる。
りかちゃん、休んでもいいよ。っていうより、期限を決めずに休みなさい」
「えっ。でも、休んだら次の週の宿題が……」

宿題と課題の重圧にさいなまれていた私が怖気づくと、Qちゃんは、きっぱりした口調で私に言った。
「宿題なんかしなくたって死にやしないよ。でも、そのままいったら、りかちゃん死ぬからね」

私はQちゃんに、ひとまずは1か月、学校を休学して、休養に専念することを約束し、電話を切った。

これで来週の宿題をしなくてもいいんだ、と思ったら、ようやく身体を起こすことができた。
それと同時に、中学レベルから英語のスペシャリストへと駆け上る自分の理想が、無残に砕け散ったことが悲しく、床に座ったまま、1人で声を上げ、泣いた。

世のなかには、気合いと根性だけでは、乗り越えられないものがあるんだなァ、と思い知らされた。

学校に休学届けを提出した帰り道、日差しがすっかり秋のものになっていることに気がついた。


わぁ、秋なんだ。…と、この時初めて気がついた。

5か月の間、毎日13時間勉強し続けた私の体重は40kgを切り、記憶力を呼び覚まそうと必死になるあまり、自分の奥歯を2本 噛み砕いていた。

2.ガラクタ女の散歩道

Qちゃんが私に与えてくれたアドバイスは、とてもシンプルで実践しやすいものだった。
当時の私の状態は、自律神経の失調による心神耗弱。
それを元の状態に戻すためには、何よりも人間本来の生活のリズムを取り戻すことが大事だという。

「朝起きて、昼間動いて、夜になったら寝る。1日3回食事を取って、ゆっくりお風呂に入る。そうすれば、身体のなかの時計がリセットされて、心も少しずつ落ち着いてくるからね」

私はQちゃんに言われた通り、朝起きて、昼間動いて、夜になったら寝るという、それだけの生活を送ることにした。
夜ぐっすりと眠れるように、昼間は家の周りを、時間をかけて散歩する。

「働きもせず、散歩するのが療養だなんて、優雅な暮らしじゃないか」

と、人は思うかもしれないが、その時の私は自分のことを、夢破れてガリガリに痩せ細ったガラクタ女だと思っていた。

「あぁ、つらい。情けない」
口から出るのは弱音と溜め息ばかりである。
「1年で英検1級!」なんて大きな事をほざいた結果がこのテイタラク……。

「身体が弱ってセロトニンの分泌が減ると、心は自然と落ち込んでくるものなの。でも、そのまま続けていけば、必ず気持ちも上向いてくるから、大丈夫、私を信じて!」

今は泥水を飲んだようなひどい気分だけど、セラピストのCちゃんが「大丈夫」と言うのだから、きっと大丈夫。
私は毎日100回も溜め息をつき「ああ、つらい」と弱音を吐きながら、地の底を這うような気分で、散歩に出かけた。

散歩を始めて思ったのは、世の中はまったくあっけらかんと、いつもと変わらぬ景色なんだということだ。

私がどんなに辛かろうが苦しかろうが、朝になれば日が昇り、雲が出れば日が陰り、風が吹けば木の葉がざわめき、日が沈めば夜になり、暗くなったら月が夜空に浮かぶのだ。

私のちっぽけな野望とか、貧弱な記憶力なんかとはまるで無関係に、世の中は動いていくんだなァ、と思うと、また溜め息が出る。

「ああ、バカバカしい。お腹がすいた」


悩んでたって泣いてたって、日は昇り、日は沈む。   photo by Georgie Pauwels

そうやって日々を過ごすうちに、身体のなかのトゲトゲした神経が、
「しょうがないよ、こんなもんだよ」と溜め息をつきながら、少しずつ静まっていった。Qちゃんの言葉は、やっぱり正しかった。

3.セカンド・プラン

自宅の床にバッタリ倒れてからひと月半後、私はN学院に復学した。
もう無茶はしない、と決めていた私は、授業を当初の週4回から2回に減らし、講師から勧められた特別課題もキッパリと断った。

学校の負担が減らす代わりに、私はTOEICという実務英語のテストを受験することにした。
N学院は生徒に英語の基礎力を身につけさせるのをモットーとしており、英検やTOEICのための受験勉強はその後にするべき、という教育方針がある。
その方針はとても正当だ。しかし、特別課題を脱落した私には、もうその道を進む時間も体力も残っていなかった。

休学中に、私は自分のプランを作り直さなければならなかった。
1年で英検1級!という野望は砕け散っても、私の目標が消えたわけではない。

その目標とは、英語を使って世の中を渡っていくこと。そしてハワイに住む英語ネイティヴの甥や姪と自由に楽しく会話すること。

今の日本で英語を使う仕事をするには、TOEICの点数を提示する必要がある。
もちろん、英語を始めて半年足らずの実力では、必要な点数を出せるわけもないのだが、まずは受験してテストに慣れることが重要だ、と思ったのだ。

私は駅ビルの書店へ行き、初心者向けの問題集や単語集、攻略本を買い集めて初めてのTOEICに備えた。


TOEIC本は本屋さんにあふれている。(これは中国の書籍)   photo by zeng.tw on Visual Hunt

「りかちゃん、どうしてる?」
プロのセラピストであるQちゃんは、時おり私に電話をかけてきて、勉強中毒に戻りそうな私に優しく釘を刺す。
「7割回復しても、10割で無理したら、またゼロに逆戻りだからね」
Qちゃんにそう言われるたび、私は泥水・ガラクタな自分を思い出し、今日はここまでにしておこう、と単語帳を閉じるのだった。

無理したら泥水、と自分に言い聞かせながら受験したTOEICは、想定した最低ラインをギリギリでクリア、という結果だった。
こんな点数で、英語を使う仕事に就くのは無理。しかし私がTOEICに再チャレンジしたのは、それから1年以上たってからだ。

N学院の方針に逆らい、TOEIC受験の対策をしながら、私は重大な事実に気づいたのである。それは…。

私は全然、英語を喋っていない!!ということだ。

そう。私は今まで 奥歯を噛み砕くほど必死に英文法を学んできたけれど、N学院でネイティヴ講師が教えてくれるのは、授業で学んだ英文法のおさらいだけ。
英語を学んでいる、と言いながら、私は実際に外国人と英語で会話する機会をほとんど持たずにいたのである。


外国人というだけでビビっていた、2年前の私。   photo by Vive La Palestina

私の目標の一つは、英語ネイティヴな甥や姪と、英語で楽しく会話すること。

このままじゃ、ダメだ~!

TOEICテストの結果を受け取った翌週、私は銀座の裏通りにある英会話学校のトライアル(お試し)レッスンを受けた。

応対してくれたのは、黒人男性のベテラン講師で、私が 自己紹介のために用意してきた英語に辛抱強く耳を傾け、優しい笑顔で ”Oh, you are grate.”と言ってくれた。

20分のトライアルレッスンが終わり、”Good bye”と手を振って講師の部屋を出た時は、全身汗びっしょり。喉はカラカラに乾いていた。
実際に使ってみると自分の英語がいかに拙いか、思い知らされる。
それでも、どうにか会話ができたことが嬉しく、私の心は久しぶりに弾んでいた。

自己紹介で、現在完了進行形を使ったのが功を奏したのか、私の会話レベルは中級と判断され、翌週から1コマ40分のマンツーマン(1対1)レッスンを受けることになった。受付の日本人スタッフのアドバイスで、私はそれから何人かの講師とレッスンし、
「この人と話したい!」
という先生と出会った。

その先生とは、モード雑誌から抜け出てきたような、オシャレで美人な29才のイギリス人講師、Lindyである。

Lindyと出会ってから、私の英語修業は、辛く苦しいオフロードから、楽しくてワクワクする、ワンダーロードに変わっていった。

でもその話はまた次の回、Season 3までお待ちあれ。

Don’t be afraid.  Let’s enjoy English!


#29で描いた2016年のLindyと私。情けなさもまた、懐かしい!

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