山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.63 笑って歩こう!

『午後の散歩道』に、ようこそ!
明けましておめでとうございます◎
平成最後のお正月、皆様いかがお過ごしですか?

「特に変わりばえしない、フツーのお正月だワ」と おっしゃるアナタ。
いいじゃないですか、変わりがナイは達者な証拠!
「お笑い番組の見過ぎで、バカになった気がする」って、そうそう、それこそ日本人の正しい正月の過ごし方というものでしょう♪

ということで、2019年最初の散歩道は、「笑い」のアレコレについて考えてみよう!


赤ちゃんの笑い顔、大好きです♡

1.笑いの記憶

「笑い」とひと言で言っても、クスクス笑いや照れ笑い、お腹をよじって悶絶する大爆笑など、いろんな種類があるものだ。

あなたはどんな時、「これは笑っちゃう」と思うだろうか。
先輩のMさんは、クラシックの交響楽のラストで、オーケストラがジャンジャン、ジャンジャン、ジャ~ン♪と激しく盛り上がる時、
「終わるかと思ったら終わらない」あの感じが我慢できない位おかしい、という。

同僚のFさんは、姉の結婚式で 神主さんが履いていた靴の形状が突如、笑いのツボに入ってしまい、厳かな式の間じゅう、ヒクヒク笑いが止まらなかったそうだ。
確かに、笑ってはいけない場面で 突然笑いの神に取りつかれることはあるものだ。


おかしかったら、犬だって笑う!

何かと人間が未成熟な私にとって一番「こりゃたまらん!」と思うのは、真面目に何かをしている人が、突然のアクシデントに襲われた瞬間だ。

あれは私がまだランドセルを背負っていた頃のこと。
忘れもしない、町内の子ども会で、スケートリンクに行った時である。
子ども用のスケート靴を借りて、私たちは仲良しさんと手をつなぎ、生まれたての仔馬のように、グラグラと氷の上を歩いていた。

すると、さっきまで子どもたちを先導していた役員のおばさんが一人、栗色のロングヘアーをなびかせ、シューッと華麗な足さばきで銀盤を滑りだした。

「アンタ達、スケートはこうやって滑るのよ~!」
北国出身だというそのおばさんは、氷上の人混みをスマートによけながら、すごい速さでリンクを半周した。
そして得意満面の笑顔で、私たち仔馬の前を滑り抜けようとした時、バランスを崩してステーン!と転んだ。
転んだ瞬間、おばさんの髪の毛が頭から離れ、キレイな放物線を描いてリンクにパサリと落ちた。
私たちは何が起こったのかわからず、氷の上で文字通り凍りつく。
「アタシの、カツラが……」
おばさんは起き上がるとスピードスケートのスタートダッシュ並みの速さで飛んでいったウイッグを回収し、何事もなかったかのように、パンチショートの頭にパスンとかぶせた。

私の拙い文章では なかなか伝えきれるものではないが、あの時のシーンを思い出すたび、私の腹筋はぎゅっと収縮し、子どもに戻ってバカ笑いをしてしまうのである。


あの時のおばさんの勢いは、こんな感じ。photo by Sangudo on Foter

長い人生で多々ある笑いの記憶からもう一つ。
それは私が高校一年の春先の午後。
クラスメイトのUちゃんと私は、学校の帰り道、明日に迫った化学の試験に備えて、歩きながらゾルとゲルのおさらいをしていた。

「ゾルは流動性だからこう!」
Uちゃんは、両手をクネクネと左右に揺らし、全身で「ゾル」の状態を表現した。
「んで、ゲルは半固形だからこうよ!」
今度は揺らしていた両手をカチッとU字型に固定し、身体でゲルを現した。


コンニャクはゲルの一例。

「そっかぁ。ゾルはこうでぇ、ゲルは!」
これで試験はバッチリだ!と調子づいた私は、Uちゃんの真似をして、両腕をガッ!と上げ、ゲルポーズをしようとした瞬間、持ち上げた左の小指が何か柔らかい物のなかにスポッと入った。

「うぐっ!!」
私の小指を振り払い、Uちゃんは両手で顔をおおって道にうずくまった。
「きゃー! Uちゃん、ゴメン! 大丈夫っ!?」
私のゲルの小指は、Uちゃんの可愛らしい鼻の穴にスッポリ入り、彼女の鼻骨を直撃したのである。

Uちゃんは突然の災難に衝撃を受けながらも、おかしさに身を震わせ、
「ゲルにやられた~」と笑っていた。
ゾルは流動体、ゲルは半個体、という化学の理(ことわり)と共に、あの時の生温かい小指の感触は、今も私の記憶に焼きついている。

2.笑って生きよう!

生きていくなかで、人は悲しみや苦しみだけでなく、色々な笑いと遭遇する。
そんな笑いを、人々から引き出し、笑われた分だけ出世していく、それがお笑い芸人である。

父の影響を受け、幼い頃から落語の面白さに親しんできた私も、そんなお笑い芸人たちを愛する者の一人である。

子どもの頃、楽しみにしていたのは日曜夜の『花王名人劇場』。
長じてからは、MCタモリの若手登竜門番組『ボキャブラ天国』。
日テレのご長寿番組『笑点』も、大喜利の前の漫才コーナーを楽しみにしていた。


お笑いはその国の文化の表われ、だと思う。

そんな私がもっとも夢中になったのは、1999年~2010年まで放送されたNHK土曜深夜のネタ見せ番組『爆笑オンエアバトル』(通称:オンバト)である。

この番組は、エントリーされた若手芸人10組が、100人の一般審査員の前で持ちネタを披露し、上位5組だけがオンエア(放送)されるというもの。
選ばれなかった下の5組のネタは放送されず、容赦なく闇に葬られる、という「史上最もシビアなお笑い番組」なのである。

100人の審査員にはあらかじめ、色の異なる10個のゴルフボールが渡されている。
芸人1組のネタが終わるごとに「このネタを放送してもいい!」と思えたら、その芸人の色のボールを、座席の前のレールに置く。
レールにはスロープがついており、置かれたボールはコロコロと転がって、金色に輝くバケツの中に落ちていく。
10組全員のネタが終わった時点で、それぞれボールの入ったバケツの重さを測り、上位5組のオンエアが決定する、という仕組み。

10組の芸人たちは自作のネタのオンエアを目指し、全力でネタを披露する。
その必死さとボールコロコロの単純な審査方法が面白く、私は一時期、番組にハマった。


面白かったら、コレを転がす。

NHKの土曜深夜に、そんな熱いお笑い番組を放送しているなんて、たいがいの人は知らなかったに違いない。
しかし その番組で育っていったのは、博多華丸大吉やアンジャッシュ、チュートリアル、青木さやか、陣内友則やバカリズムといった、今をときめく芸人たちなのである。

ところで私には、一緒に番組にハマる「オンバト仲間」がいた。
私より一回り近く若い、元の会社の後輩・MWちゃんである。

年が離れていたため、それまで個人的な付き合いはなかったのだが、ある時私が会社の洗面所で、他の女子に この番組の面白さについて力説していたのを聞きつけ、

「りかさんも好きなんですか?」と、近づいてきたのである。

私たちはさっそく食事に出かけ、オンバト談義に花を咲かせた。
「あの時のネタはスゴかった」
「先週の審査はちょっとユルかった」など、特定な何かが好きな者同士のコアな話題で盛り上がったのである。

ちなみにMWちゃんの弟は海外で大人気の売れっ子イラストレーター。
その才能はMWちゃんにも流れており、オンバトのご縁から、マガジン版『ビタミンママ』の私の連載『ビタミンシアター』の挿絵をお願いしていたこともある。

話をオンバトに戻そう。
私たちはオンエアされたネタを見るだけでは飽き足らず、応募ハガキを出して公開録画の観覧者となり、そうしてついにタマを転がす審査員の座をゲットした。

渋谷区神南のNHK放送センターのスタジオまで、私たちは連れだって出かけ、芸人たちの全力ネタを審査した。
審査員にはジャッジペーパーというA4の紙が一枚渡され、10組の芸人それぞれに、感想を書くことも求められた。
回収したスタッフは、その紙を10等分に切り分けて、それぞれの芸人にフィードバックするという。
バトルに敗れた芸人は、その紙を熱心に読み、自分たちの芸には何が足りなかったのかを考えるのである。

芸人たちの持ち時間は4分。審査時間は1分で、審査員はその間にタマを転がすか否かを考え、ジャッジペーパーに感想を書かなければならない。
収録時間は1時間だが、10組のジャッジを終えたMWちゃんと私は、ヘトヘトになってスタジオを後にした。


当時、何度も訪れたNHKふれあいホール。懐かしい~!

「お笑いって疲れる~」
「でも楽しかった~」
公園通りのカフェでひと息つきながら感想を述べ合っていると、さっき出演していた無名の芸人が、あくせくと次の仕事に向かっていくのを目撃したこともある。

その頃になるとMWちゃんは、
「りかっちは先輩じゃなくて、友達!」と、私のことを「りかさん」ではなく「りかっち」と呼ぶようになっていた。

私たちは順番に応募はがきを出し続け、オンエア回数の多い上位10組の芸人たちによる「チャンピオン大会」の審査員を務めるに至った。

あの頃、オンバトで全力ネタを披露していた芸人が、今のテレビ界をけん引するほど出世したのか、と思うと感慨もひとしお。
そして時の流れを感じずにはいられない。

「オンバト」を応援し、私と一緒に、真剣にタマを転がしていたMWちゃんは、その後 病を患い、遠い人になってしまった。

お笑いと共に、サザンオールスターズの大ファンだったMWちゃんのお葬式は、BGMにサザンが流れる、とっても明るいものだった。

それでも、もう一緒にお笑い談義に花を咲かせることも、美味しいレストランを探し当てることもできなくなってしまったと思うと、寂しくて仕方がない。
ずっと年下のMWちゃんが、どうして先に逝ってしまうのかと思うと、悲しくてやりきれない。

でもそうやっていつまでも悲しんでいると、
「りかっち、ダメだよメソメソしてたら」
MWちゃんに、活を入れられてしまう気がする。

サザンとお笑いが大好きで、辛気臭いことが嫌いだったMWちゃんに顔向けができるように、上を向いて、笑って生きていかなくちゃ!と思う。

昔々、日本で戦争が起こった時、男たちは次々と召集され、闘いに駆り出されていった。
その頃、芸人の町だった浅草では、「明日出征する」という噺家が、凄味のある芸を披露し、観客を沸かせていたという。

明日死ぬ、という時でも、おかしな話を聞けば人は ひととき憂き世を忘れ、笑いに興じるものなのだろう。
同じ生きていくなら、私もそうやって、笑って生きたい。

お婆さんになるまで笑って生きて、あの世に行ったら、
「りかっち、ずいぶん待たせると思ったら、老けたねぇ!」とMWちゃんに笑われたい。

この1年、皆さまの周りにも、たくさんの笑いがありますように!


MWちゃんの可愛いイラスト。一緒にいられて楽しかったよ!ありがとう♡

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