『午後の散歩道』に、ようこそ!
猛暑が続きますねェ。
7月の前に梅雨明けしちゃった関東は毎日が蒸し風呂のよう(>_<)
この散歩道も、うだる暑さに日中の人影はまばら。 私も冷房の効いた室内で、この原稿を書いている。
こんな時、背筋がゾクッとなるような体験を求めて、ホラー映画やおばけ屋敷に足を運ぶ人も多いのではなかろうか。
しかし怖がりの私には、それは無理な冒険。
というわけで、今回は怖がりの私がオススメする、ちょっと冷んやりするあれこれをご紹介してみよう。
ニャー! 猫だって怖いものはコワイ!!
1. ちょっとだけホラー
ホラーと聞いて、目を輝かせる人と「イヤッ!」と言って顔をそむける人がいる。
「キミはどっちだ?」と聞かれれば、私は間違いなく後者の部類。
身の毛もよだつ怖ろしい話を聞きたくて、わざわざ稲川淳二の怪談ライブに足を運ぶ人の気持ちが、私にはわからない。
私からすれば、その人達は 舌が焼けるほどの激辛料理や、心臓が飛び出すほどの絶叫マシーンに挑戦する人々と同様、「どうかしてるよ」と思ってしまうのである。
とはいえ、私にも人並みに「怖い物見たさ」があり、数年に一度か二度、ホラーな気分に浸りたい時がある。
まぁ怖がりな私がいくら頑張っても、ホラー好きから見れば、「たいしたこないナ」と鼻で笑われてしまいそうだが。
『リング』 鈴木 光司 著 角川文庫
言わずと知れたジャパニーズホラーの名作。
「きっと来る、きっと来る~」という おっかない曲で古井戸から這い出てくる黒髪の貞子は、もはやホラー界ではアイドル化していると言っても過言ではない。
私が最初にこの恐ろしい作品を知ったのは、1995年8月に放送されたフジテレビの2時間ドラマだ。
普段は見ないサスペンスドラマだが、今は亡き大好きな俳優・原田芳雄が出ているので、当時のVHFビデオに録画したのだ。
その夜は友人と夜遊び(映画)をし、帰宅してから寝るまでの間に、
(ちょっとだけ原田芳雄を見ちゃおう♪)
なんて軽い気持ちで見始めたのが運のつき……。
きっと来る? イエ、来ないで下さい~(>_<)
新聞記者 浅川と、大学教授 高山が、
「このビデオを見た人間は、七日後に死ぬ」
という、「そういうの、最初に言ってよぉ」的な怪奇現象を追うミステリーホラー。
8月の真夜中に「見たら死ぬビデオ」をビデオで見ていた私は、途中で止めることもできず、見終わったビデオテープをそのままにして寝ることもできず、深夜のお笑い番組を上書きして、ようやく眠りについたのだった。
『リング』が映画化され、黒髪の貞子が一大ブームとなったのは、テレビドラマから3年後の1998年。監督の中田秀夫は今作を機に、日本のホラー映画の巨匠と呼ばれるようになった。
鈴木光司の原作本は、『リング』のあと『らせん』、『ループ』とシリーズ化したけれど、読んでる途中で度々悪夢にうなされるほど怖かったのは、最初の作品だ。
『百物語』 杉浦 日向子 著 新潮文庫
江戸の風物や人情を描いて人気を博した杉浦日向子の怪談漫画。
彼女の作品では、天才絵師 葛飾北斎の創作の日々を、娘の栄の視点で描いた『百日紅(さるすべり)』が有名だが、この『百物語』は彼女が漫画家として最も円熟した時代の代表作といえよう。
百物語とは、室町から江戸時代にかけて主に武士たちの「肝試し」として流行した怪談会、そしてそこで話された話のことをいう。
人々が集まって、部屋の中心で100本のろうそくを灯し、持ち寄った怪談を披露するたびに、そのろうそくを1本ずつ消してゆく。そして最後の1本を消したとき、そこに化け物が現れる……。
日本人の怖い物好きは、昔からちっとも変わっていないのである。
江戸時代でも幽霊画が大流行していた。
しかし杉浦日向子の『百物語』には、人を取り殺すような真に恐ろしい化け物は登場しない。
ご隠居が、来る客に不思議な話を所望していく、という趣向のこの物語。
出てくるのは、下駄を片っぽだけ盗むカワウソや、死んだ妻に化けて夕飯を食べにくるムジナ(狸の一種)。
お蔵の壁にぽつんと生える手のひらや、夜の間だけ、錦鯉がすいすい泳ぐ川になる屋敷の廊下。
老いた母が竹やぶのなかで少女に戻り、年を取った未来の息子と鉢合わせる話など。
ちょっとおかしく、ちょっと切ない99の不思議な話が詰まっている。
猫のうちわ絵。 こんな化け物だったら、出てもOK♪
百物語なのに、どうして99話で終わるのかって?
それは作者の日向子さんが、怖がり屋だったから。最後の一話を残して終わるなんて、ホラー好きなら舌打ちするに違いない、日向子さんならではの粋な計らいだ。
杉浦日向子は1995年にこの『百物語』を発表すると、物語の通り「ご隠居生活」に入り、2005年に惜しまれて病没した。
2. 見える人、見えない人
私の周りには、わりと高い確率で「見える人」がいる。
「えっ。見えるって、何が!?」
私に劣らず怖がりな ビタママ編集部Y子が、フクロウみたいに大きな目を見開いてこっちを見ている。夜中に見たら、Y子だってかなり怖いゾ(笑)
「見える」とは、そう! Y子が恐怖におののく、ソレ。幽霊のことだ。
暗闇でこちらを見ている人影……お姉ちゃんでも怖い!
「小さい頃は普通に見えたけど、今は見えなくてちょっと寂しい」という人もいれば、
「見たくないのに、今も見える」という人もいる。
私は幸いなことに「見えない」タイプの人間なので、見える人の苦労は話を聞くだけ。ああ、助かった!
「見える人」のなかで一番身近なのは、私の母だ。
といっても いつもではないらしく、時々なにかのスイッチが入った時だけ、見えてしまうそうだ。
以前、私が運転する車で湘南をドライブしていた折、逗葉トンネルで突然
「あっ!」と叫ばれた時には肝が冷えた。
「エッ!? ナニナニ!?」とブレーキをかけようとすると、母は
「なんでもない。早くトンネル抜けよう」と言って、バックミラー越しに私を見た。
逗子近辺に住んでいる「見えない」人達がこれを読んでいたらゴメンナサイ。あのトンネル、いるらしいです。
トンネル走行。どんなに怖くても、安全運転を忘れずに~!
父がまだ元気な頃、母と夫婦二人で奥入瀬渓谷に旅行に行った。
帰ってきて撮った写真を現像してみたら、ものすごい数の「何か」が写っていたそうだ。
母はそのことを怖がりな父には知らせず、昼間、一人で線香を焚き、「南無阿弥陀仏」とお経を唱えながら、キッチンのシンクで、写っていた写真をすべて燃やした、と言っていた。
高校時代、「見える」「見えない」で論争になったこともある。
当時、私は今でいう「軽音」のような音楽の同好会に所属していて、季節は秋の始め。文化祭のために遅くまで教室に残り、曲の練習に励んでいた。
すると、私とユニットを組んでいた友達が突然、
「あっ」と言ってギターをつまびく手を止めた。
「ちょっと何よ!真面目にやって!」
私が切れ気味に抗議すると、彼女は窓の外の、とっぷり暮れた暗闇を指差し、
「あそこに、女の人が…」と言うではないか。
私達がいる教室は二階にあり、窓の外の暗闇には、岩石で作られた水の流れない滝壺の崖があるだけ。
「えぇ~ッ。ど、どこに!?」鋭く叫んだ私の声に、そばで練習していた何人かの同好会仲間が集まってきた。
「なんにも見えないじゃないの!」
当時視力1.5の私が目をこらして暗闇の岩肌を見ても、何も見えない。
しかし集まってきた何人かが
「え。アレ!?」
「そう、アレ!!」と同じところを指さして確認し合っている。
「え。全然見えないんだけど」
「あ~!アレかぁ。なんか、白い着物着てる」
「キャーッ!!」
学校の廊下も、人がいないとコワイ!!
悲鳴を上げて転げるように教室を出たのは私を含む「見えない」側の数人だ。
「見える」数人は、まるで天然記念物でも発見したみたいに、
「あれが帯で、髪の毛がこう垂れてて」と、学校の幽霊を観察していた。
正確に数えたわけではないが、そこにいた4割ぐらいの生徒が、
「だんだん薄くなってく」
「あ~、消えちゃった」と、静かに消えてゆく幽霊を見送っていた。
リアリストの人がこれらの話を聞いても、
「気のせいだよ」と言って笑うのだろうが、そんなことはないと思う。
私は「見えない」けれど、世の中には見えない何かが、きっと存在していると思う。
以前、知り合いだった不動産業者の人も、
「出る物件は、ある」と言っていた。
最後に一つだけ、見えない私が体験した話をしよう。
あれは今日みたいに寝苦しい夜のこと。
ふと目覚めると、私の隣りで伯母の声がした。
伯母も暑さに目が覚めてしまったのか、
「うるさくて眠れない」
ちょっと怒った様子で、そのまま私の隣りの布団に潜り込んだ気配があった。
寝ぼけた頭で、次に浮かんだのは、叔母はこの間 亡くなった、という事実だ。
「え」と思って枕元のスタンドをつけたら、そこに叔母の姿はない。
でも「うるさくて眠れない」と言った伯母の声はハッキリと聞こえたし、私の隣りで横になった気配は、確かにあった。私はゾッとするでもなく、
「そうか、愛子おばさん、うるさくて眠れないのか」と思いながら電気を消し、そのまま朝まで眠ってしまった。
伯母の四十九日で、その話を従姉にすると
「私のところには ちっとも出てきてくれないのに、そこに出たか~」と少し悔しそうな顔で笑ったものである。
さて、怖がりな私の、ちょっと冷んやりする話、いかがでしたか?
伯母の霊にも動じない私は 怖がりじゃないって?
いえ。私、身内以外はどんな現象も受け付けません。
夜道を歩いてて、自分の影に「うわッ!」と飛び上がるビビリですから。
夏の「ひょっこりはん!」は、どうぞご遠慮願います。
「怖い」の9割は、想像力でできている。でも残りの1割は…!